昭和50年05月14日 朝の御理解



 御理解 第76節
 「人間は人を助ける事が出来るのは有難い事ではないか牛馬は我が子が水に落ちていても助ける事が出来ぬ。人間が見ると助けてやる、人間は病気災難の時、神に助けて貰うのであるから、人の難儀を助けるのが有難いと心得て信心せよ」

 人の難儀を助ける事が出来る人間でなからなければ出来ない。ですからその助けれると云う事が人が助かると云う事が有難い事、もう最高の有難い事として信心をさせて貰わなならん。私くし昨日十三日会で十五、六名の方が発表されましたから、今度は並んでおる順々でしたからもうほんの初ぶの人、初心の人も矢張りそれ々お話しされましたがもう本当に却ってなんと云うですかもう赤裸々な、それでいて矢張り十三日会を楽しみにお参りをして来ておる人達の話でしたから非常にあの皆さんおかげ頂きました。
 私も大変おかげ頂きました。特に私くしはあのう矢部の後藤さんが発表しとられましたが、最近そのー自分がおかげ受けておる事を、思われるのにほんに、ここ一年ばっかりは家の事は、いっちょん願いよらん事に気が付かれたという。家族の事は願っていない。もう村内の人達が助かる様に、本当に村内の方達に示現活動が出来られる様に参画が出来られる様にと云う事ばっかり、願っておる事に気が付かせて頂いたら、ほんに私の方はそれ以来子供達が病気一つ風邪一つひかん。
 もう七十幾つになる母親も、それこそもう七十幾つの年で、今お茶を摘む時期だそうですが、お茶摘みに毎日行っている程しにおかげを頂いとる。改めておかげを受けておる事を有難く思うという話をしとられました。ね。没頭しておると云う事は、それに掛かっておると云う事は、そのうずうっとお導きして廻っとると言った様な事でなくて、もう寝ても覚めてもその事その事を思うとるという云われる。
 始の頃始の頃と云うが信心のまだ無かった頃、又信心の薄かった頃は、村内から村内の人達でもあまり相手にしない位であったけれども、この頃は云わば皆んなあの人のお導きで人が助かる。村内の方達で困った事があると相談を持って来なさる。最近はこの前の月次祭にゃー村長さんが、もう矢部と言う所はもう本当に山の中の村でありますそうですがね、矢部村の村長さんが村会議員を連れてお礼参拝をして来ておる。皆んな後藤さんの信心によるものです。
 月々あちらが共励会が矢部地区に始められる様になりまして、どの位でしょうかね、もう半年位でしょうけれども、もう生々として、勿論月次祭にはああして参って見えますが、共励会の日を楽しみに皆が待っておる。出来たら自分の家で会場をしてくれないかと言った様な人達まで出て来ておる。しかも村の中堅というか、その村で大きな事業をしておると言った人達も矢張りその後藤さんの私は行った事はないけれども。
 山の中に小屋の様なお家であった、それが丁度もう小一年になりますでしょうか、火事で丸焼けになった。留守中に焼けましたからあのう丸焼けになったその時のその様子というか、あまりにも不思議な焼け方であった事で、村人達がやっぱり一寸関心を寄せて来た。しかもその後おかげを受けていかれる姿に目を見張った。そして一生懸命それこそとつとつとして話される後藤さんの話に、皆んなが耳を傾ける様になった。
 本当に有難い事だと思うですが、今日この七十六節七十六節を頂かして頂いてです、思わせて頂くのですけれども人の難儀が助けられると言う事は、確かに有難い事だなあとこう思いますそれにはね矢張り何と申しますかね、自分の事は忘れておるというのですから、私はそれを聞かせて頂いて本当に感動致しました。それは先ず自分が助かって自分がおかげを頂いて、そして人を助けてやるというのですけれどもですもう私くしは自分の事は忘れておる程しの私しは信心こそ自分が助かっとる時だと思うですね。
 自分の一家が助かっとる時だと思うです。まあそれは本当に私くしと同じ事、学問もありません。まあ言うならばあのう、村内で友達寄りがあったり致しましても、もうあれには言うなという位だったというのです。言うなら村の人が相手にしなかった人が、相手にされる所か、皆んなの注目を引いて困った事、難儀な時という時には頼みに来ると云う様にになった。今までお付き合いをしなかった親戚の者までが。
 まぁ云わば頼み事にやって来る様になった。お話が出来られる訳でもない。どう云う所からかも知れんけど、信心のその有難さと云う物がです、矢張り見内に体全体に溢れておる。私は人が助かると云う事はね、矢張りそういう自分自身が助かり方をしなければ、助けようとして助けられるのじゃないけれども、勿論神様の働きを頂く事もですけれども、自分の事を所謂滅却するというか忘却するというか、忘れてしまう位なものが要ると云う事であります。自分の事で頭がいっぱい。
 是じゃ矢張り人の段じゃないと云う事になるのです そんなら後藤さんが立派なお家に住んどられるか、又は余裕のある生活をしておられるかというと、決してそうではない。神様を奉斎されとるそうですけれども、八足も自分で造った。お宮を自分で造ったもういうならばです、粗削りの八足の上にお神様を奉斎して、そして拝んどるというだけなんです。行った事がない話を聞くだけ私も。
 ですけれどもそうらしいんです。昨日森部の高山さんの所の近くに嫁に行っとります、娘さんの安産のおかげ頂いてお礼お届けに来て、お名前を頂きたいと云う事であった。姓が利根川というんです。それに対して名前が利根川礼記と云う珍しい名前を頂きました。礼とお礼の礼です記は記すと言う言辺に記すと云う字です。御理解に礼を云う心はそのまま、喜びですと云う御神米にお書き下げを頂いた。礼記と云う心にゃ名前にそう言う様な意味が含まれておるというのです。礼を言う心はそのまま喜びです。
 私は後藤さんの場合にはね、是がもう身の内に溢れておるのではないかと思います。成程火事で丸焼けになった、けれどももし一日か、二日か遅れておったら、体の動けないお婆さんでしたか、お爺さんでしたかね。お爺さんですか寝ておられたのです。それがまだ学校に行かない子供が火遊びしていて焼きこくったのですからね。それこそ動き切らん病人が寝ておる。それこそ焼け死ななければならなかった。
 勿論村内の同情も集まる。周囲の方達からの同情が集まってです、それから何か学校の先生の宿舎になっとったのが、先生が外へ出られるので、その家が何か入札か何かでそれを大変なそれこそたまがる様な安い値段で、その家を譲り受けられる事が出来た。ほれでその前より立派な家が出来た。色々あちらこちらから、着物やら洋服やら色々所帯道具やら、いろんなもんが集まった。もう前小屋の様な家に住んでおった時分よりもよっぽど立派なもんが集まって来た。
 そう言や最近お参りして来るにも、子供でも自分でもピシャとした洋服やら、それこそ町家の子供のごたるこしらえさせてから参って来るです。同時に例えばその焼け具合というか、村の内の者がとても只々たまがる。もうどれだけあるやら解らん様にずうっと後ろは檜山が繋がっとるそうです。幾ら小さい家でも、それが燃え上がった時に、後がすぐ檜山だそうですから、火がぱっぁと移ったそうです。
 けれどもそれこそ火の滝が落ちる様にです、サア-ッと落ちたと村内の者が言うそうです。自分達はおらじゃったそれはちょいと不思議な事じゃっあったち。だから一番その家の傍にあるその檜が少しまあ赤く枯れたな事であった。そう言う様にです本当におかげを受けて、そしてその後におかげを受けておるその事が、もう本当に金光様信心しとればこういうおかげが受けられる言う。有難い有難いの一念があの人に話を伝える様になった。又人も注目しだした。
 奥さんが主人に内緒で、もうそれこそ後にも先にも始めて、火災保険てんなんてんかたる事はないけれども、まあお付き合いかなんかで、是非かたらんならん事があってから、ほんなちょっと前に火災保険にかたっとった。それこそ火災保険目当てに例えば付け火でもしたっじゃろうかと思われる位に、素晴らしい事じゃったけど、所謂アリバイがあるもんですから、それもやっぱり無事に入った。ほらぁ本当に金光様の信心ちゃ有難かと云う風に、その村内の人達がそのそれを感じる様になった。
 ですから矢張り私くし共がです、先ずそう云う風におかげを受けたその喜びの感動がですね、自分の事はもう打ち忘れる程しに私は昨日、お話を後藤さんがしておられるのを、自分でこげな事ば話そうと思うて話したとじゃなかと思いましたですね。話ながらふっと気付いて見たら、ここ一年ばかり家には誰も病人がなかったという事です。子供達も元気である自分達も元気である。そして万事万端のうえに、御都合お繰り合わせ頂いて、村長さんから町会議員が今度は四名あの人のお取次によっておかげを頂いた。
 四名の者がそれぞれに参拝させて貰う。そして金光様の有難さを聞かして貰う様になった。この前の月次祭には、村長さんは関係がないのだけれども、村長さんまで村会議員を連れてから村会議員を連れて参って見えました。私くしは暫くあのうお祭りが済んでから、応接室で話を聞かせて貰ったり、お話さして頂いたんですけれどもですね、もう村内の者が感心しとりますち後藤さんに、本当に信心によって助かると云う事は、素晴らしい事だと。そしてその自分のその助かりがですね。
 言うならばその助かったお礼心がです、自分の事を忘れる程しに、言うならば合楽の言葉でいうと、合楽示現活動に参画しなければおられない働きがですね、人達が次々とあちらで言うならば、共励会が出来る位におかげを頂いておると云う事です。人を助ける事が有難いと心得て信心しょる自分が助かった、自分がおかげを受けたその喜びがです、自分の事を忘れさせる程しのおかげになった時に、人が助けられるものだなと云う事が解ります。勿論そう云う事だけではありません。
 愈々自分のという者の言うならば無力さ加減、自分の様な詰らない者、もう言うならば世の廃人と同んなじ様な自分。あれは近藤先生だったでしょうかね、自分は世の中のすたれ者、いうなら糞尿と同んなじだと。自分のそこまで下げられた。そして世の中の根肥やしになろう、それがお道の教師になろうと思い立たれる。その願いを立てられる事の元になっておる。愈々ぎりぎり自分と云う者のつまらない者、自分の様な詰らない者でも神様が使うて下さるなら、その根肥やしになろう。
 自分と云う者ぎりぎり糞尿の所まで自分と云う者をいうなら、自己反省というかね所謂われ愈々屑の子の自覚に立れたと云う事になります。この屑の子でももし人が助かる事の為の御用にお使いまわしを頂けるなら、という自覚に立たれた時にそれこそ世の根肥やしに、ああいう大変な御比礼を受けられた。助けるそして助けられるものではないですけれども、矢張り自分と云う者が、自分の様な者でも神様が使うて下さるなら、是なんです。今日はここから、今年学院に行く人が四名おります。
 今朝出発させて貰います。そのなら四名の人がです、学院に行くと云う事は、生涯いうならば道の為にいうならば、神様の手にも足にもならせて頂こうという、覚悟の出来た人達ばっかりなんです。ですからそれがです、今日私がね後藤さんの話をさして頂きましたが、信心による助かりと云う物が自分自身に、自分だけじゃない、人が目を見張る様ないうなら、助かり方をさして頂く所から、礼記さんじゃないけれども、礼をいう心はそのまま喜び、その喜びが自分の事を忘れさせる程しの私は。
 熱情があってこそ、人を助ける事の御用が出来る。同時にぎりぎり自分の無力さ加減と云う物が解った時に、自分の糞尿の所までも云わば、ぎりぎり自分と云う物を見極めた時にです、なら自分の様な者でも、世の中のすたれ者である所の自分が、もし生かして頂くならば、自分の様な者でも使うて頂くならば、世の言うならば根肥やしにでもならせて頂こうと云う様な自覚に立たれて、近藤先生の御信心があった様に。
 只人が困っておられる、お金がないで困っておられるから、お金を貸してあげる。それもやっぱり助かる事。本当に人が水に溺れて御座る。だから矢張りそのう自分が泳いで行って助け上げた。それもやっぱり助ける事。是は人間でなからなければ出来る事ではない。そういう言うならばその神心というか慈悲心というか、そういう心の強い人、この頃新聞に出ておりました、子供が溺れておるのを通行人が沢山あるけど、誰ぁれも唯見て通るだけで助けようとしなかったと言う事が記事に出てましたですね。
 そういう人情紙より薄いと言った様な中にです、人の難儀を助けるのが有難いと心得られる私くしは心こそ、神心であり慈悲心だと思います。神心の強い人慈悲の心の強い人でなからにゃ、私は本当に人は助からないと思う それも自分の事は忘れる程しの私くしは、熱情と云う物が掛けられなければ駄目だと思う。先ず自分が助かった。後に人と助けてやる。是も事実そうです。
 なら自分が助かると云う事は、どう云う事かというと、教えによって自分自身が助かると云う事なのですけどね。後藤さんの場合は決して立派なお家に住んで、金がどんどん儲かりよる。家の者は皆んな健康で子供達は皆んな出きが良うして、頭が良い、そういう意味ではない、後藤さんの例を見れば解る。それこそなら何と言う石工さんですから石を割りに山の中に入られるのが仕事なんです。
 奥さんな矢張り日雇とりに、山の中で行きよんなさるという。言うならば貧しい貧しい生活をしておるんです。それでいてなら後藤さん達夫婦は助かっとる。自分達の事を忘れる程しに。あらほんに昨日話ながら聞かれた様に、ほんに私しはこの頃は自分の事はいっちょもお願いはしよらんち。それでも子供は病気せん、親は元気で七十幾つになるけれども茶摘みにでも行く位なおかげを頂いておる。
 自分の事は忘れる程しに合楽示現活動に打ち込んでおると云う事が感じられます。問題は自分を忘れる程しの私は信心の熱情そこに始めて、人の助かる事の出来れる道をです、神様は開いて下さる様に思います。自分の難儀な事自分の苦しい事ばぁっかりが頭の中にある。自分の胸の中にある是では助ける出来よっても、それは本当の助かりになりゃしません。手も出ん足も出ん、自分自身がね本当に自分の事をを忘れる程しのもの、そういう信心を身に付けて行きたいですね。
   どうぞ。